Aikido’s diary

合気道を広めよう

合気道と今の世の中

武道と社会を考える

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いつもありがとうございます。じんです。

 

今日は合気道を技としてではなく、少し違った視点からとらえてみようと思います。

私自身まだまだ若い人間で、社会のことなどもこれっぽちもわからない人間ではありますが、現時点で私が、社会と合気道について思うことについて記そうと思います。

 

きっとこの考え方は私が30歳・40歳・・・と歳を重ねるにつれて変わるものではあるでしょうし、いろんな考え方のある中から見れば批判的にみられるかもしれません。

そんな中、少しでも共感していただける方がいらっしゃれば幸いです。

 

テーマは「合気道と今の世の中」です。

 

私たちは今、終戦からかなりの時がたち、平和な世の中で暮らしています。

世の中では犯罪が取り締まられ、自分の身を守っているのは自分だけではありません。

剣を持っていなくても殺されないどころか、剣を持っていると捕まる時代です。

だからといって身体を鍛えても、人に暴力をふるってはいけない世の中です。

ではどうして、そんな中で武道をする必要があるのでしょうか?

 

自分を守るためでしょうか?

確かに暴力を振るわれそうになったときに自分を守ることはできるかもしれませんが、そんなことが日常で何度も起こる世の中ではありません。

 

では私は人生のたった数回(もしくは0かもしれない)の暴力を振るわれた時のためだけに武道をしているのでしょうか?

初めは、武道を修めることで「強くなれる」と考えていました。

実際、子供の頃はたくさん喧嘩もしましたし、あまり負けた記憶もありません。

武道を習ってもっと強くなるぞ。と、ずっと考えていました。

しかし、武道を修めてからというもの、口喧嘩すらした覚えもないほどに喧嘩をしない人間になっていましたし、気が付けば争いごとになる前に場を収めたいと考えるほど平和主義になっていました。

 

どうして私はこんな考え方をするようになってしまったのでしょうか。

考えても考えても答えは出ないものでしたが、今日少し記事にしてみようと思ってたくさん考えてみました。

 

答えは簡単でした。

 

 

「人と仲良くするのが好きだから」です。

 

 

 

昔、私が剣道をしていた頃、試合の最中は相手を倒すことばかり考えていました。

とにかく隙を見つけて一本取ろうと考えていました。

こう見えて結構剣道は強かったのですが、剣道では一本取っても喜んではいけません。

してしまうと、その一本がとり消しにされてしまいます。

勝負なのに勝っても喜んではいけない。

なかなか考えられないですよね。

僕も当時はなんでだろうと考えていました。

理由は調べてはいませんが、私が考えるに「相手を倒すことが目的ではないから」だと思います。

剣道は礼に始まり礼に終わる武道です。

 

武道の道という文字には、人格を形成するという意味があります。

つまり、その道を行く人はみな相手を尊敬しているからこそ「負かしてやったぞ、俺のほうが上だ」などということをしない(してはいけない)んですね。

 

試合の最中は敵に見える相手も、試合が終われば仲良く話す友達です。

仲のいい友達と喧嘩なんてしたくありません。

しかし剣道では勝っても負けても喧嘩になんてなりません。

互いに和の心を持っているからなんですね

 

合気道も同じです。

相手のことを痛めつけるために技をかけているのではありません。

お互いが良いところ・悪いところを学び、切磋琢磨し高めあっているのです。

 

私は武道を通じてこの考え方を学び、だからこそ争いを避けるようになったのだと思います。

 

今の世の中にはインターネットが普及し、SNSというもので考えを広めることができるようになりました。このブログももちろんそうです。

しかし、ネット上ではたくさんの批判や悪口、否定的な考えが挙がっています。

なにかをすれば叩かれ、なにもしなければ叩かれる。といったように、必ず物事を否定的にとらえ批判する声が上がります。

マスゴミはちゃんとした報道をせず、不安を煽ることしかしない。」

もう聞き飽きたというくらい聞き飽きたフレーズです。

記者は本当は注意喚起をしたくて報道をしたのかもしれません、しかし「不安を煽ろうとして記事を書いた」と言われてしまえばそれまでです。

いちいちこういった声を否定することもないでしょう。

その間にも周りは好き勝手石を投げてきます。

 

SNSは確かに個人の意見を拡散しやすくなり、そこに同調した人は巨大な集団をつくるようになりました。

 

ですが本当に大切なことは自分のことだけでなく、相手を敬う・相手を考えることです。

相手の価値観や考えを理解しようとしなければ、相手側からもこちらを理解してはくれないかもしれません。

たくさん石が落ちている道を裸足で歩くには、すべての石を取り除く必要があります。

それはとても難しいので、私たちは靴を履きます。

まわりが変わらないのなら、自分が変わるしかないのです。

世界の問題を解決しようとしている人は、何も言わずに水面下で努力をしています。

 

「たくさん動物がいておもしろかった。」

考えを述べることは幼稚園児だってできます。

話している内容が変わっただけです。政治のことや社会的な「問題」について自分の意見を述べれば、自分の頭がよくなったと錯覚しているのです。

 

考えを述べることがいけないわけではありません。

ただ、本当に大切なことは、物事を批判的に見るのではなく、本当に問題だと思ったのならその解決策を発信し実現するということです。

それはもしかすると失敗するかもしれませんし、はたまた成功するかもしれません。

新しいことを始めようとするのですから、批判だってされるでしょう。

それで失敗すれば「ほれ見ろ」と言わんばかりに叩かれる世の中です。

新しいことに挑戦しようとする人は肩身の狭い思いをします。

 

そんな世の中ですが、私はいろんなことに挑戦するのが好きなので、皆がたくさん挑戦できるような世の中になればいいなあ、なんて考えています。

めちゃくちゃ他力本願ですね(笑)

でも、何億人もの人がいるのに、周りが変わることなんて期待しても仕方ありません。

なので私は、物事の流れや、相手に合わせて自分が変わるように努力しています。

そのために合気道はとても良い武道なのです。

 

なにが良いのかはやってみないと分かりません。

とても精神的なもので、記事を読んですぐに伝わるものではないからです。

この記事を読んで少しでも合気道を始めたいと思う方がいらっしゃれば、なんて思ってます。

そのために毎日、合気道の良さについて発信しています。

地道にコツコツしていかないと、いきなりバーンと物事は変わりませんからね!

 

今日も最後まで読んでくださりありがとうございます。

 

それではまた明日!